アルバム『Ambitions』がオリコンウィークリーチャート1位を獲得するなど、快進撃が止まらないロックバンド・ONE OK ROCK。
25日にYahooニュースを見ていたところ、ヴォーカルのTakaがインスタグラムでファンに苦言を呈したことが話題となっていました。
恐らく好きなアーティストに対して熱心なファン的立ち位置にいる(であろう)わたし自身も、その発言に色々と考えさせられました。
今回はそんなワンオクTakaの発言から、アーティストとファンの在り方について「勝手に」(※ここ重要!)考えてみました。
あくまで個人的な意見なので、誹謗中傷はご遠慮ください!!
Takaは一体何に不満を感じていたのか?
まずはTakaの発言とその真意について考えてみましょう。
(インスタグラムより引用)
「このままいったらちょっと我慢の限界を迎えそうだから書かせてね。
最近、日本のファンに対して、、ちょっとどう接していいかわからなくなってきちゃった。
朝疲れた状態でバスから降りればそこには日本人が携帯片手にまるでポケモンみつけたみたいに動画やら写真やらパシャパシャ撮られて
みんな毎日ちょっとシンドイ思いしてます。
御飯もゆっくり食べれない。外の空気もろくに吸えない。ライブがはじまれば最前列はいつも同じ景色。。。日本人同士なのにわかってくれないのかなって、、、、
そりゃ、、気持ちはね、、、わかるよ!
楽しいだろうし。近くでみれて嬉しいだろうし。
でもね。俺らも人間だからさ、、、
限度ってものがあると思うんだよね。
なんのために海外で毎日頑張ってるのかわからなくなっちゃうし、ルールなんか作りたくないからもう少し考えてほしい。。。僕らが海外でライブをする意味を!
普段会えないから会いに行く場所ではないから!まぁ色々これみて思うことあるかもだけど、僕らはこんな文章を書きたくなるくらい今正直凹んでます。」「ゴメン!文章が足りてなかったね。。
一部の人達なんだけど、最近はその一部があまりにも多いって話なんだよね!みんなのこと嫌いにはならなゆ
よ!」(原文ママ)
色々と書き方に問題があるので炎上してしまいましたが、とりあえずそれは置いておいて(苦笑)。そもそもここでTakaが“日本のファン”に対して問題提起していることは、大きく分けて2つあります。
① ポケモンを見つけたみたいな勢いで動画や写真を撮られるマナー違反に困っている
② ライブの最前列がいつも同じ景色=同じ人で埋められていて、海外で活動している意味が無い
まず、①に関しては言語道断でマナー違反ですよね。誰だって勝手に写真や動画を撮られたら不快に感じます。それが朝バスを降りた時や食事をしている時なら、尚更撮影なんてされたくないでしょう。
この件に関して「日本人云々と言っているけど、海外で熱狂的なファンが居れば撮影されるなんて日常茶飯事だし、パパラッチに追い掛け回されてもっと酷い」と言うことを発言されている方もいらっしゃいますが、それを言うのはナンセンスです。そもそも勝手に写真を撮ること=相手が嫌がることをしている、相手に対して失礼なことをしているのには変わりありません。
本件についてはTakaが「日本人が~」なんて人種をひと括りにしちゃうから、関係の無い日本人のファンまで不快な思いや悲しい思いをしてしまい、外野が文句を言いたくなったのもあるのでしょうけれど。
そして、そもそも今回物議を醸しているのが②の発言なんですよね。
・日本人の一部の(と言っても、その人数があまりにも多い)ファンが
・毎回最前列を陣取っていて
・その景色を見るのが我慢の限界、限度を越えていて
・海外でライブをする意味が無い
う~ん、自分の行動と重ねて(笑)ちょっと考えてしまいますね。
日本人のファンが海外のライブへ行くことは問題なのか?
今までいわゆる「遠征」(=自分の地元だけではなく、遠方まで公演を観るために足を運ぶこと)と呼ばれる行為を、わたし自身もしてきました。まぁわたしは日本国内だけで、さすがに海外まで追いかけて行こうとは思わないんですけど(笑)
(いや、もしかしたら海外遠征を考えたことはあったかも…でも実現には至りませんでした。)
これって熱心なファン活動に理解や興味が無い人たちからしてみたら、本当にビックリするような行為なんだと思います。(一応それは理解しているつもりです。)
なぜ遠征をするのか。地元の公演だけではダメなのか。
あくまでわたし個人の意見ですが、自分が遠征をする基準を下記に挙げてみました。
(この基準は特定のミュージシャンに対するものではなく、対象によってケースバイケースであることを念頭に入れてください。)
・ライブついでに観光が出来る。地方の美味しいものが食べられる。旅行気分が半分。
・ライブは生ものであるため、その日のその公演を体感したい。
・公演によってセットリストが違うので、色んな曲を生で聴きたい。
・その日その場所の単発公演しかない、あるいはアニバーサリーなど特別な意味を持った日の公演である。
・(首都圏内に住んでいるので)そもそも東京近郊の公演のチケット倍率が高過ぎてチケットを確保出来る可能性が低いため、地方の公演へ足を運ぶことを考える。
この5つがわたしの遠征基準で、先に挙げたものほど重視しています。
(他にも仕事に支障をきたさない、体調を考えてスケジュールに無理がない、などありますが、個人的なことなのでここでは割愛します。)
人によって基準は違うとは思いますし、そもそも有無を言わせず全通(=全公演行くこと)をする人もいますから、もしかしたらわたしは珍しいタイプなのかも知れませんが、正直旅行気分で遠征しているのが大きいです。なので、コレと言って観光や食に魅力を感じなかったり、そのための時間が取れないと判断する土地へは行きません。ホテルも「寝るだけ!」と安宿に泊まる人も多いですが、わたしは立地と泊まりたいホテルの兼ね合いで決めます。必然的に値段が高くなるので、過去には一緒に遠征した子が同じホテルに泊まりたがらないこともありました(笑)。友人には一切観光しない、食事もコンビニで買ってホテルで食べる、夜行バスで移動してネットカフェに泊まる、なんて子もいますが、観光や地のものを一切食べない遠征というものを(解散ツアーを除いて)したことがありません。解散ツアーに関しては、もう二度と彼らのパフォーマンスを見ることが出来なくなるので、とにかくライブを見られる限り見る!と言う気合いで廻りました。
ここでTakaが苦言を呈した日本の方が、(旅行半分であるかも知れませんが、それ以外に)どんな気持ちでアメリカへ足を運んだのか考えてみました。
・海外でライブする姿を見届けたい。
・とにかく沢山会いに行きたい。
こんな気持ちが大きいのかなぁ、と思います。
分からなくもないです…むしろ大いに分かってしまうかも(苦笑)
ずっと応援してきたバンドの晴れ舞台は是非見届けたいと思うものですし、現地へ赴いた方たちはそれだけお金や時間を使ってでも会いたい!と思って動いているのでしょうから、とにかく「現地に自分が居たい」という一心で駆けつけたのだと想像出来ます。
そんな気持ちは、アーティストにとって本来ありがたいことなのではないでしょうか。
売れなかった時代、たくさんのお金や時間を使って自分たちの音楽を聴くために色んなところへ足を運んでくれたファンに助けられた時も正直あると思います。そんなファンがいたからこそ、ここまで活動を続けられた部分もあるのではないでしょうか。
一方で、そんな気持ちはファンの「エゴ」でもあります。別に誰に頼まれたわけでもなく、勝手について廻っているんですから(なんて言うと、自分も複雑ですが。笑)
そう考えると知名度の上昇や戦うフィールドの変化によって、すれ違いが生じる気がします。
集客出来ないとき、いつものファンが駆けつけてくれ、盛り上げてくれて心強かったり。
でも集客出来る様になってからは、その土地の人たちにパフォーマンスを見てもらいたいと公演を行っているのに、いつものファンばかりがチケットを獲得し、そのために地元の人たちが入れずヤキモキしたり。
各地で軽い気持ちで足を運んでくれるような初見が増えなければなかなか新たなファンも獲得できず、段々いつものファンを邪魔に感じてしまったり(これはミュージシャン側の「エゴ」)。
そしてそんなアーティスト側の態度に、いつものファンが今までついてきたのに!自分たちのお陰で今があるのに!と反発心を持ってしまったり(これはファン側の「エゴ」)。
どっちもどっちと言えばお仕舞いですが…どっちもどっちですね(笑)
ただ、結局ミュージシャンという存在はオーディエンスありきなのではないでしょうか。
ファンがいなければ活動出来ません。地元の動員だけで100%会場を埋めるのは、よほどアーティストとして大きくならなければ難しいことだと思います。
どうしてもアーティスト側がいつものファンに来て欲しく無いのなら、その様に興行の運営をすればいいのだと思います。
チケット購入に一定の条件をつける、とか。
会場に入れなくすればいいのです。
ただ、ファンを選ぶようなことは余りして欲しくないなぁ、と言うのがわたしの本音です。
チケットが購入出来る以上、ライブを見る権利は平等にあるのですから。
ライブに「定位置」は存在するのか?
遠征の是非についてウダウダと語ってきましたが、そもそも遠征そのものより、こちらの方が苦言のウエイトが大きいのだと思います。(そう思っているのに「遠征」についてウダウダ語ったのは、Takaが「日本人」と名指しし、「海外でライブをする意味」と言ったからですが。)
「ライブがはじまれば最前列はいつも同じ景色」
この表現が意味するものは、一体なんでしょうか。
わたしが良く行く(それほど売れていない)V系界隈のライブだと、こう言ったことは日常茶飯事に起こります。
徒党を組みお金に物を言わせて最前列を占領する人が必ずと言っていいほどいます。そして絶対群れを成しています。恐ろしすぎて近寄る気も起きません(笑)。アーティストを近くで見たいんでしょうね。そりゃあ誰でも遠いより近い方が良いでしょう、その方がステージを見やすいですし。正直悪い文化だなぁ、と思います。こんなやり方はアンフェアですし、そういう人がいるからファンが増えないのも、少なからず要因のひとつとして存在しているのではないでしょうか。
そこで少し疑問があります。
ワンオクほど動員があるバンドで、「最前列がいつも同じ景色」なんてあり得るのでしょうか。
日本で考えたらまず無理だと思います。
・徒党を組んでいる誰かが早い番号を持っていて
・あるいは毎回高額を使って早い番号を入手し
・その人たちが場所取りをしたり、周りを威圧したり(苦笑)して
・毎回最前列を占拠する。
ほぼ不可能ですよね。
ただ今回は海外の公演であり、いわゆる「整理番号」がなく、整列した順に中に入れるのだとしたら。
その人たちが、朝早くから並んで頑張ってGETした最前列だとしたら。
どの位置で見ようと、アーティスト側にとやかく言われる筋合いないんじゃないかな…と思います。
もちろん日本と文化が違いますから、行列好き(は言い方が悪いけれど)の日本人みたいに長時間並んで出来るだけステージに近い位置を取る、なんてこと自体無いのかも知れません。(そこら辺のことは、実際行ったことがないので分かりませんが…)
でも、特に制限されていない手法で正規にその位置をGETしたのだとしたら、それは正攻法であり、むしろ現地にそれだけの熱心なファンを作れていないアーティスト側の実力不足なのではないでしょうか。
先ほどと一緒ですが、どうしても熱心ないつものファンが最前列にいるのが嫌なら、日本人が取れるチケットでの入場を後にするなど、運営側でコントロールするしかないのです。
(お金で早い番号のチケットを買う、場所取りをするなど)ズルをしていないのであれば、どこで見ようとオーディエンスの勝手ですから。
誰だって近くで見たいと思いますし、前へ行けるのにわざわざ後ろに下がるなんて、揉まれるのが恐いとか体調が不安とか、何か理由がない限りしないでしょう。
ここでタイトルに戻りますが、そもそもライブに「定位置」は存在するのでしょうか。
これは「ない」のではなく、「あり得ない」と思います。
全てのライブに整理番号が無く早い者勝ちで、全てのライブで誰よりも早く並んでいるのなら有り得ますが、大概整理番号つきや指定席であり、購入も早い者勝ちだったり抽選となりますから、毎回最前列の席番号や一桁の整理番号を「正攻法で」入手するのは不可能です。
ただ、唯一それが可能なのが先に述べたとおり、様々なズルをしてライブを私物化する行為です。
今回Takaの発言が意味しているものが、ズルをしている行為を表しているのかはわたしには分かりません。
正攻法なら“いつも同じ景色”なのは自分たちの実力不足だと思いますし、ズル行為があるならそれは宜しくないことでしょう。
その様な輩がいるのであれば、インスタグラムで人種を一括りにしてボヤくのではなく、直接注意すればいいのです。それが不可能なら周りに相談をし、運営サイドで、スタッフサイドで対処すべきなのではないでしょうか。
恐らくズルをしている人たちの神経は図太いですし、まさかインスタの発言が自分のことだなんて思ってもいない気がします。それとは逆にTakaの発言で関係ないのに傷ついているファンも少なからずいるのではないかと思います。
残念なことに、足繁く通っているファンに「我が物顔」をしている人もいるでしょう。
常連だから、新規だから、一体何だと言うのでしょうか。権利は平等です。好きな気持ちを天秤にかけることは出来ません。回数や使った金額で愛情は計れません。
「こんなにお金を使っているのに」「こんなに足を運んでいるのに」――だからって別に偉くありません。仕事では無いのですから、別に「君は部長」「君は課長」「君は平社員」なんて指名されてもいません。自分が勝手にお金を使い、自分の好きで回数を重ねているのです。
熱心なファンほど傲慢な気持ちになっていないか、少し考えてみる必要があると思います。
同時にアーティスト側も、せっかく自分たちのためにお金や時間を捻出してついてきてくれるファンを無碍にする行為がどんなに酷いことなのかを、一度考えて欲しいと思います。
限度を越えているなら直接教えてあげればいいのです。ライブに定位置など無い、色んな人に最前列に来て欲しいことを伝えればいい。たとえ同じ日本人だとしても違う人間なんだから、言わなければ分からないことは沢山あります。
「初心忘れるべからず」
アーティストもファンも、結局この一言に尽きます。
「初心忘れるべからず」
音楽を始めた頃の気持ち
売れていなかった頃に見た景色や感じた感動
はじめて好きなアーティストのライブを見たときの気持ち
生の音から受けた感動
回数を重ねれば、当初の純粋な気持ちはバケモノみたいにどんどん形を変えて行きます。もっと、もっと、もっとこうなりたい――現状に満足できなくなり、以前は望んでいなかったものを望みます。そして欲望の渦に飲み込まれ、傲慢になっていきます。人間ってそういう生き物だから仕方ないんです。
でも、そのまま欲に駆られて悪い方へと沈んでいけば、疎まれ蔑まれ、あんなに楽しかった世界が純粋に楽しめるものではなくなってしまいます。
お互い時々初心を思い出すことが必要なんだと思います。
思い出せないなら、意図的に一度立ち止まって自分の発言や行動を振り返ってみるのもアリかも知れません。
この世界はまるで「宗教」のようです。
どんどん強欲になる教祖のように
どんどんのめり込んでゆく信者のように
周りからはおかしく見えることが、自分では分からなくなっていくものです。
「音」を「楽」しむと書いて「音楽」です。
音楽を愛しているあなたは今、純粋に「楽しい」ですか?